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近代史+ (日本) ブログトップ

A級戦犯 と 東條英機 [近代史+ (日本)]

数年前に酒の席で、
「中国大陸に日本軍が “いた”、それだけで侵略と言えるだろ」
と言っている男がいた。
だから、たまげた。

「昭和天皇にも戦争責任がある」
とも言っていた。
ぶったまげた。 まさに魂が しばらく消えた。 唖然としてしまった。

「東條英機はヒットラーと同罪だ。
 あいつは捕まる前に自殺しようとしていた、悪だったと認識していた証拠だ。」
 だいたいあいつは A級戦犯だ。」
と続けて言っていた。

この男は普通にそこらにいる日本人で別に反日団体に所属しているわけではない。

騙されている。完璧に自虐史観に汚染されてしまっている。
反論しても無駄だった、聞く耳をもってない(あるいは 酔っ払ってたのか?)。
しかしもう日本軍=悪 と信じ切っていた。
まだ多くの輩がそうやって騙されているのだろう。

この問題の根はとても深い。

日教組や朝日新聞、NHKなどが嘘を教える。
多くの日本人、子どもや大人も騙されてしまう:

 こども たちへの歴史教育:
 http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2009-05-31


日教組やマスゴミは癌だ。
しかも民主党のリーダーたちも癌だと知らなければいけない。

立ち向かわないといけない。

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忠臣蔵 と 真珠湾攻撃 [近代史+ (日本)]

元禄15年12月14日(1703年1月30日)
いまの兵庫県にあった赤穂藩から 47名もの武士が武装し
かつて江戸城で役人の仕事をしていた老人の屋敷を襲撃し護衛たちを倒し
その老人、吉良上野介(きらこうのずけのすけ)を殺害した。
と、ここだけしか話をしないと、こいつら武士は非道で悪人だ、となる。

同じく先の戦争の話を日本軍が真珠湾攻撃をしたところからしか話をしないと
日本はバカな戦争をおっぱじめた、軍人は悪だ、となってしまう。

と、そのような旨を田母神氏が言っていた。
なるほど、その通りだと思う。

赤穂浪士(あこうろうし)の話は、その前からの話をしないと、
民衆の心をとらえ、語り継ぎ、美談になり
歌舞伎で忠臣蔵として演じられることもなかっただろう。
08.jpg

先の戦争も、その前の話を知っていると知らないとでは真逆の見方になりえる。
さぁ、知るべきだ。

<田母神氏の講演が大いに勉強になります。必ず見ていただきたく思います。>
広島での講演、2/3から3/3まで:

2/3【8.6田母神講演会】ヒロシマの平和を疑う!完全版[桜 H21/8/12]
http://www.youtube.com/watch?v=qRxALHW-MgI



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海軍航空隊 予科練 神風特攻 [近代史+ (日本)]

バイクと稲穂.jpg

先週末に豊富な水を湛(たた)えた霞ヶ浦沿いをバイクで走ると
あたりの 広大な田んぼには稲穂が垂れて 金色の海が波うっていた。
神々からの恵みだ。

遠くに筑波山が見える:
03稲穂03.jpg
04稲穂01.jpg
02霞ヶ浦.jpg
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この霞ヶ浦沿いには陸上自衛隊・土浦駐屯地があって、
かつては土浦航空隊があった場所だ。
01土浦航空隊跡S2.jpg

ゲートと受付には自衛隊員たちがいて氏名・住所を記載、
するとバッチをもらって指定範囲を見学できる。

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ノモンハンでの日本軍勝利 [近代史+ (日本)]

ノモンハンで日ソ両軍による激戦で日本軍は大敗した、というのは嘘だ。
参戦した司馬遼太郎も そう言ってたが騙されてはいけない。
実際には日本軍はソ連の戦闘機や戦車をより多く破壊し強烈な打撃をソ連軍に与えていた。
大敗したのはソ連軍だった。

しかも侵略者はソ連軍の方だ。
悪党だ。
多くの日本人を長期間拘束し、奴隷にし、劣悪な環境下で多くを死なせた。
そして今も北方領土、四島を不正に占領している。

まずは二島返還、だなんてとんでもない!
四島全島一括返還だ、日本国家リーダーたちよ!

---
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090916/erp0909160322000-n1.htm

【主張】ノモンハン70年 一方的な歴史解釈検証を
2009.9.16 03:22

日ソ両軍が旧満州国とモンゴルの国境線をめぐって激戦を繰り広げたノモンハン事件(昭和14年5~9月)の停戦協定から70年が経過した。

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南京大虐殺のまぼろし [近代史+ (日本)]

よく調べて言い切れること:南京大虐殺はなかった。

産経新聞は鈴木明氏の「『南京大虐殺』のまぼろし」を紹介している。
(日本=悪 のままにしたい媚中朝日新聞は 絶対に紹介しない本だ。)
朝日新聞の中国報道や歴史に関する記事が茶番であるという旨もある。

南京にある南京大虐殺記念館では 虐殺されたとする30万の数字が壁にある、
しかし だいたい当時南京にいたのは20万人、30万人は殺せない。
この記念館は まさに嘘の塊 だが 大量に記念館を訪れる中国民は それを信じきっている。

とっとと茶番は終わらせたいものだ。

---
【論説委員「私の1冊」】石川水穂 鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」
2009.9.25 08:19
 この本が出版されたのは、前年に中国との国交が樹立され、日中友好ムードに沸き立った昭和48年だ。国交回復前の46年に朝日新聞で連載された「中国の旅」の「南京大虐殺」のくだりに疑問を持った鈴木氏は、南京戦の参戦者を訪ね歩いた。

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天皇陛下 vs マッカーサー [近代史+ (日本)]

攻める日本軍に恐れをなしてフィリピンから部下をおいて逃げたマッカーサー。
日本を占領する際のGHQトップも このマッカーサーで
占領中に徹底的に日本を弱体化させるために あらゆる仕組をつくった。
天皇も処罰し靖国神社も破壊しようとしていた。

当初マッカーサーは わざと 天皇陛下へは会いに行かず
敗戦国の天皇陛下から会いにくるのを待っていた。
どうやって命乞いをするのだろうかと手ぐすね引いて待っていた。

礼儀をしらない傲慢で邪悪な男、マッカーサー。

ところが いざ天皇陛下がマッカーサーを訪れると
責任を負う、どうなってもいい、国民を守りたい
という旨を天皇陛下自らが言葉にした。

天皇陛下に私心はないし いつも国民の平和を願い祈ってきた。
高貴な 正に神聖な存在なのだ。

邪悪なマッカーサーは出鼻をくじかれた。

圧倒的な品位の違いがあった ということだ。

---
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/090927/imp0909270338001-n1.htm

【次代への名言】9月27日 ダグラス・マッカーサー
2009.9.27 03:37

 ■「天皇は私が話し合ったほとんど、どの日本人よりも完璧に、民主主義というものを理解していた」(ダグラス・マッカーサー)

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独立英雄 [近代史+ (日本)]

いまインドネシアの人口は 約2.3億人、オランダは 1700万人足らず。

かつて そんなオランダが インドネシアを支配、
人口の規模は関係なく 武器がある連中と無い連中の関係。
傲慢で強欲な連中と 無垢で穏やかだった連中との関係。
インドネシアの民は奴隷にされ動物扱いされてた。
中国人がやってきて間にはいって搾取もした。
それはそれは惨めだったんだ、350年間も。
アジア人が白人に勝てるわけがない。

でも 60年ちょっと前に日本軍がやってきた。
あっという間にバントン要塞を陥落させオランダ軍は降伏した。
インドネシアの民は ぶったまげた。
同じ肌の色をした民が戦闘機を飛ばし武器をもちご主人様をやっつけた。

でも 日本軍は米軍に負けた。
オランダ軍に負けたわけじゃないけど連中は戻ってきた、
10万の兵士が戦闘機や戦車とともに。
また搾取するために。

でも 白人に勝てない という迷信から醒めたインドネシアの民は戦った。
搾取に怒り独立を支援するために残った日本軍残留兵 約1000名も戦った。
オランダ軍の無差別爆撃による 80万人の犠牲を払っても負けなかった。
4年たっても勝てないオランダ、
それに世界世論に戦争が続けられなくなった。

ついに オランダはインドネシアの独立を認めた。
ただし独立を認める代償 60億ドル、支配していた土地財産の権利保全、
油田の開発費の弁済をインドネシアに認めさせて。

それに敗戦後オランダは日本軍人 224人を処刑した。
平手打ちをされた仕返しだとか、食わされた飯がまずいとかそういった理由で。

しかしオランダ人をはじめ中国人(華僑)やオランダのしもべとなった
インドネシアの民とともに日本軍は 残虐で極悪非道なことをしまくった
と大騒ぎをし続けている。
更にはNHKや朝日新聞なども日本を徹底的に嘘でクサしている。

まだ生きている元日本軍残留兵で独立英雄がインドネシアにいるんだ。

---
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091022-00000032-san-soci

インドネシア、元日本兵互助組織創立30年 語り継ぐ残留兵の足跡
10月22日7時56分配信 産経新聞

 終戦後もインドネシアにとどまり、対オランダ独立戦争を戦った残留日本兵の互助組織「福祉友の会」(本部・ジャカルタ)が、創立30年を迎えた。今も平均年齢90歳の4人の元残留兵が健在。当初の役割を終えた会は現在、次世代教育と日本とインドネシアの親善に力を入れる。会が設立した現地日本語学校の卒業生は1千人に達した。来日した元残留兵で同会創立メンバーの一人、宮原永治さん(89)は「会が両国の架け橋となって、残留兵の歴史を伝えてほしい」と話している。(飯塚友子)

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戦没者の帰還 [近代史+ (日本)]

国の為に戦い命を落とした国士たちは海外に約240万人いて
戦後60年以上にもなるのにまだその半数もが まだ放置されたまま。

かつては血が通っていたんだ。
親や兄弟、家族がいて平和に暮らしてたのだ。
国ために、我々の為に戦ってくれたのだ。

可及的速やかに大規模に徹底して一人残らず国に戻ってもらう、
それを国家が対応するのは あたりまえだ。

---
産経新聞記事から引用:

「すべての兵士を故郷に帰す」米国:

アメリカには、軍の作戦行動中に戦死したり、行方不明になった兵士の捜索や遺体回収、
身元確認、遺族への返還を専門的に行う4軍の統合組織(JPAC)がある。その実動部隊がCILだ。
その徹底ぶりは関係者の間でつとに有名だ。

たった一人の兵士の遺骨を捜すために、硫黄島に大人数のチームを送りこんだり、
ドーバー海峡が干潮になったときに海底の泥を全部吸い上げて、
欧州戦線で亡くなった兵士の遺骨を捜索したこともある。

「CILは予算も人も投入して、“当たり前のこと”としてやっている。
 アメリカで戦死者はヒーローだが、日本ではいまだに“日陰の身”の扱い。
 この認識の違いはあまりにも大きい」

アメリカのCILをみれば分かるように、
国家のために命をかけた人の慰霊をおろそかにしている国など、
世界を見渡してもどこにもない。
 「戦没者の遺骨を野ざらしにしてはならない」。

---
産経新聞記事から引用:

フィリピン:
海外での戦没者の5人に1人強(約52万人)がフィリピンで亡くなっている。
そのうち、祖国に戻ることができた遺骨は、いまだ約13万人にすぎない。

レイテ島:
約8万人の日本兵が亡くなっている。
遺骨の近くで、名前が入った水筒などが見つかった。
「遺族に手渡してあげれば、どんなに喜ぶだろうか」と思う。

シベリア:
「氷点下50度に冷え込む酷寒の中で鉄道工事をさせられた。
 栄養失調になって同期の約半数が死にました」
「せめて、シベリア抑留のことを若い人に伝えていきたい。
 学校ではロクに教えてくれませんからね」

パラオ・ペリリュー島:
約1万1000人が亡くなった同島では、これまでに約7600柱の遺骨が収集された。
残るは約2500柱。

---
アルピニストの野口健さん(36)らがメンバーになり、フィリピンで戦没者の遺骨収集を行っている
NPO法人「空援隊(くうえんたい)」(理事長・小西理(おさむ)元衆院議員)は…
国の予算で収集を行うことを求める公開質問状を鳩山由紀夫首相らに提出する。

---
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091028-00000066-san-soci

「国の予算で収集を」 戦没者遺骨3万体 比で新たに確認
10月28日7時56分配信 産経新聞

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興亜観音 と 七士之碑 [近代史+ (日本)]

戦争犯罪国家、米国GHQが日本を占領すると
極東国際軍事裁判(東京裁判)というリンチ裁判で罪を捏造し
無実たる日本のリーダー達を A級戦犯だのB級戦犯だとかで処刑した。
冤罪(えんざい)じゃない、これも戦争犯罪以外の何物でもない。

そうやって日本は悪とされ、
A級戦犯 と聞いただけで パブロフの犬 よろしく
無条件反射で 悪者だ、怖い、バカだ、となる。
日教組教職員やNHK関係者、朝日新聞社員たちは ひきつけを起こす。

GHQは日本のリーダー 7名を処刑し、火葬すると
その遺灰を無造作にまとめて どこか(海?)に廃棄した。
ところが無造作が過ぎて残っていた遺灰は密かに回収され
熱海にある興亜観音のそばの石碑 (七士の碑)の下に埋葬された。

七士氏名:
松井石根 / 東條英機 / 板垣征四郎 / 土肥厚賢二 / 木村兵太郎 / 武藤章 / 廣田弘毅

興亜観音は陸軍大将松井石根により支那事変での日中両軍戦没者を
ひとしく供養するために建立されていた。

O 興亜観音といえば「礼拝山興亜観音」であり、
O それをサポート(奉賛(ほうさん))するのが「興亜観音奉賛会」。
△ 「興亜観音を守る会」もあったのだが
× どこかの新興宗教「世界OO教」の傘下にある
× 「熱海興亜倶楽部」から役員を
△「興亜観音を守る会」に送り込み、その役員が悪臭を放ち始めた。
× 興亜観音の資金をもって参道横隣接地を買収し「ペット霊苑」を企んでいた
などあって「興亜観音(礼拝山興亜観音)」は「興亜観音を守る会」と絶縁。

混同しないように注意しなければいけない:
20091123_興亜観音問題参考図2S.jpg

礼拝山興亜観音:
http://www.koakannon.org

ただ興亜観音の場所は参拝するにはアクセスが容易じゃない。
たとえば都内からなら首都高-第三京浜-横浜新道-湘南バイパス-真鶴道、
付近には駐車場はなく、木々の間を急な坂、山を昇っていくとある:
20081230_興亜観音・七士の碑01.jpg

興亜観音堂:
20081230_興亜観音・七士の碑02.jpg

参拝したのは去年の暮、12月30日。
誰もいなかった、と思ったら山の下から声が聞こえる
「よくおいでなすりましたぁー」…「よくおいでなすりましたぁー」
声はすれど しばらくは姿が見えず。

現れたのは松井大将が連れてきた先代堂守の伊丹忍礼師の娘である
伊丹妙浄尼だった。(娘といえど己よりずっと年配の方)

ちょっと話し込んでしまった。
何か用事があるらしく また妙浄尼が出ていく前に
昼の食事も用意してくれて 大変に恐縮:
20081230_興亜観音・七士の碑03.jpg

興亜観音:
20081230_興亜観音・七士の碑04.jpg

七士の碑(かつて ひきつけを起こした連中に爆破された亀裂がある):
20081230_興亜観音・七士の碑05.jpg

私は知っています。
安らかに おやすみください。

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捏造する環境保護団体(シー・シェパード) と 日本近代史 [近代史+ (日本)]

傲慢な白人はアジアを侵略し悪事を尽くし
史実を捏造してきた。

捏造するのは得意、ということだ。

シー・シェパードは海賊船を 日本の調査船の進路の前に出して衝突破損させた、わざと。
しかし まるで日本の調査船が海賊船に向かって/狙って衝突したかのように
動画ビデオを捏造し証拠とした。

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香港を見た 国のトップリーダーたち [近代史+ (日本)]

いまから10年ちょっと前までの香港の空港は市街地に隣接していた。
まさにビルの間を旅客機が飛び交うイメージ。
その飛行場から九龍市街地中心へ向かう高架道路上のタクシーから見る
高層ビル群は どれも灰色で窓越しの部屋は暗く鉄格子があり
どれもが廃墟か倉庫かと思えるほどだったことを覚えている。

ところが新しい飛行場はとても大きく最新の設備、
飛行場内は欧州勢のブランドショップがひしめいている。
市内へのアクセスに今でも真新しく思える電車から見る
高層ビルは どれも新しく市街地までずっと連立している。

そのまま九龍中心街どまりで済ますなら
もう廃墟のようなビル群を見ることはない。

01HKs.jpg
02HKs.jpg
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かつて日本のトップリーダーたちはこの香港に立ち寄っている。
岩倉使節団 =岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳…
開国し明治維新を経て海外へ飛び出したリーダーたち。
西暦1871年11月から632日、世界を見て回った。

欧米では その国力、怒涛の産業力/工業力に驚くことになる。
しかしひるまなかった。
追いつくことを知っていたし 実際に追いつき追い越すとことになる。
日本文明文化の凄さだ。

そしてその帰りに香港へ寄っている。
そして また驚くことになる。

香港はイギリスが清から割譲した土地だった。
当時の中国は 満州民族に漢民族が支配された国で、国名は「清」。
イギリスは香港でアヘンを売りつけ人々を廃人にし利益を得ていたが
アヘンを燃やした清に難癖をつけてアヘン戦争をしかけて清に勝ち香港を割譲させていた。

日本のトップリーダーたちは香港の港で見た、
清の風習の弁髪(頭部前面を剃り上げ残りの髪を束ねる)頭の大量の漢民族が
イギリス人に奴隷のように こき使われまくっているのを。

「日本も国力をつけないと やばい!」
国のトップリーダーたちは誰もがそう思ったに違いない。

---
今の日本のトップリーダーたちはどうだい?

鳩山が抜けて小沢を排除したように見せかけた菅直人は
靖国神社参拝はしないと公言し、国旗国歌法案に反対票を投じ君が代は決して斉唱せず
拉致工作員 辛光洙(シンガンス)に対する釈放署名をした売国奴だ。
法務大臣、千葉景子も夫婦別姓法案や外国人参政権法案を推進し日本を売る。
こいつらリーダーは 日本をクサす。
ところがこの危機的状況を国民は認識してない。

かつての日本のトップリーダーたちは 国の危機をまともに認識していた。
リーダーだけじゃない、日本国民さえも それぞれしっかりと認識していた。

マスコミは情報を歪曲し 嘘さえもつく…特に朝日新聞、最悪な新聞。
もし読むのなら新聞は産経新聞を推奨。
情報の上っ面だけで終わらせ判断してはいけない。

「日本国民は真実を知らないと やばい!」
と知る必要がある、真実を追求する必要がある。
---
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巣鴨プリズン [近代史+ (日本)]

日本は戦争に負けて日本を占領したGHQによって
日本軍は邪悪だったと捏造され日本国民は洗脳されてきた。

アメリカは西海岸を侵略し、ハワイにフィリピンを侵略し
日本人移民の国籍をはく奪し、資産を凍結し
シナの国民党に武器弾薬生活物資を無償供給し日本と戦わせ
隠れて戦闘機(フライングタイガー)を出撃させ日本軍を襲い
対日戦争計画(オレンジ計画)で日本の暗号化解読や通信傍受をし
戦争準備を着々と進め、
日本がアメリカから輸入していた石油80%の出荷を停止し
日本人はシナ大陸から全て撤退しろ(ハルノート)とヤクザの脅しを突き付け、
戦争になると銃後の日本の街を無差別爆撃し、原爆を投下し
女子供や老人をも、一般市民を計画的に虐殺するという戦争犯罪をし続けた。

したがって 「平和に対する罪」=「A級戦犯」があるのなら
それはアメリカ合衆国大統領ルーズベルトやトルーマンたちになる。

しかし日本を占領したGHQは日本の元首相や陸軍大将や中将など逮捕し
戦勝国が一方的に企画した東京裁判(極東軍事裁判)という茶番劇で戦犯とされ処刑された。

GHQが日本を去り主権を回復した後の日本国民は 4000万人もの署名を集め
国会も全会一致で刑執行待ちの いわゆる「戦犯」を釈放している。
釈放され大臣にまでなる戦犯がいるか?

日本に「A級戦犯」はいない。

---
処刑された場所のひとつが巣鴨池袋にある。

池袋サンシャイン60の隣にある東池袋中央公園:
20101011_0A巣鴨プリズン.jpg
20101011_0B巣鴨プリズン.jpg

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戦前・戦中の日本を高く評価する世界の識者たち [近代史+ (日本)]

SO-TV(インターネットTV) チャンネル桜「田母神塾 #46」(田母神氏 +Saya氏)から:
20101025_01田母神塾.jpg

第一回アジア・アフリカ大会
1955年にインドネシアのバンドンで第一回が開催。
参加国はその多くが第二次世界大戦後に独立したアジアとアフリカの29カ国であり、
この会議によって、平和五原則を拡張した平和十原則が定められた。

日本を除く28カ国が次のように言った:
「我々が今こうして白人国家と対等に口がきけるのは日本のおかげだ。
 日本があれだけの犠牲を出して戦ってなかったなら
 我々は今もイギリスやオランダの植民地のままだった。
 本当に日本に感謝しているし、今後とも日本はアジアのリーダーとしてがんばってくれ」
と皆が言った。


田母神氏:

「戦争が終わった時は日本が侵略国家だと思っていた国は無かった。
 みな日本に感謝していた。

 人類の歴史を見れば15世紀位から
 白人国家は世界に出るようになって有色人種の国を次々と植民地にしていった。

 植民地になった有色人種の人たちは非常に酷い状態で生活をしていた。
 牛・馬と当然の場面もいっぱいあった。
 白人に鎖で足を繋がれたり、食事を与える時に地面に放り投げて拾わせたりと、
 猫や犬と同じ状態。

 しかし日本が戦うことによって人種平等の時代がやってきた。
 日本が戦ったのはアジアの国々ではなくアジアを植民地にしていた白人国家。
 中国でさえ日本の歴史的役割を評価していた。

 日本のおかげで人種平等の世界が早くきた。

 戦後日本は残虐国家だと言うアメリカの占領下で強制された歴史観、
 これが日本が独立した後も続いている。

 歴史は戦勝国が造る。

 しかし戦前戦中の日本を外国の人は高く評価していた。」


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東京大空襲・戦災資料センター [近代史+ (日本)]

「財団法人 政治経済研究所」が 2002年に開設した「東京大空襲・戦災資料センター」。
この施設は前都知事(青山幸男氏)で予算化されたが石原慎太郎氏が都知事になって却下。
寄付により運営開始されたらしい。
場所は東京都江東区、行ってみた:
20101212_01東京大空襲.jpg

入館料は 300円、ビデオを見れば内容が理解しやすい、と言われ
2階のテレビの前で NHK特集「東京大空襲」(1978年放送)を見ることになる:
20101212_10東京大空襲_RIMG0014.jpg

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日本は侵略国家ではなかった [近代史+ (日本)]

田母神論文は真実を語っている。
何度読んでもすばらしい。

「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。」

アパグループ、「真の近現代史観」論文:
http://www.apa.co.jp/book_report3/index.html

第1回「真の近現代史観」懸賞論文最優秀受賞作品
「日本は侵略国家であったのか」田母神俊雄(防衛省航空幕僚長 空将):
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

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日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄(防衛省航空幕僚長 空将)

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毅然とした態度と行動 [近代史+ (日本)]

学校教科書やNHK、朝日新聞などでは教えない日本近代史を知ると
日本はスゴイ、と思うことが多々ある。

そして なんだそりゃ! と思うこともあって
そのひとつが戦前の腰ぬけ外交。

こづきまわされ、なめられ、しぼられ、
暴行され、略奪され、凌辱され、虐殺され、
それらえげつなさを際限なく受けたのは
白人国家に対峙した日本人、それに支那大陸にいた日本人。
NHKや朝日新聞の嘘とは違う、日本人が加害者じゃない、被害者。

日本政府は “日支(日中)友愛”とか言って支那人の暴挙に反撃もせず、
日本人を守らず、悪を世界に発信せず、黙り続けた。

結果、日本人は更になめられ、虐殺が繰り返され、
それら えげつなさが繰り返された。
そして多くの日本人がむごい被害に合い続け、膨大な国益が失われていった。

今の民主党日本政府の外交と似ている。
違いは、戦前の日本政府は ただただ支那などに優し過ぎた、
今の日本政府は ただただ国を売る存在にしか過ぎない。

週刊新潮に連載の「藤原正彦の管見妄語」にその
なんだそりょ!
と思ったことがまとめてあった。

フルコピーペースト:
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藤原正彦の管見妄語・83・宣伝下手_s.jpg

藤原正彦の管見妄語/かんけんもうご

宣伝下手

先日、友人のイギリス人数学者が私にこう言った。
「日本は中国漁船がぶつかって来たと言ってるようだけど、
今もビデオを公開しないのは
日本側に都合の悪いことがあるからなんじやない」。
案じた通り世界はそう受け取っている。

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立派だった旧日本陸軍 佐倉連隊 [近代史+ (日本)]

日清戦争が始まるころの日本では
それぞれの将兵がしっかり教育をうけ道徳を学び、
重厚な歴史と伝統に支えられた高い道義心をもって大和の盾となる
世界で最も礼儀正しく勇敢で規律正しい日本軍が組織された。

千葉県佐倉市に国立歴史民族博物館があって
数年前に佐倉連隊についての展示がされていた。

01佐倉連隊にみる戦争の時代.jpg
A佐倉兵営之図01.jpg
B佐倉兵営之図02.jpg

その内容は次の通り:

---
はじめに

国立歴史民俗博物館が建っている場所は佐倉城の遺跡であり
戦前は佐倉兵営が置かれていた所でもあります。

1873年 (明治6) 全国にさきがけ関東地方で施行された第一回徴兵で
集められた若者たちは翌年よりこの兵営で訓練を開始しました。

彼らが子や妻、親や兄弟、国を守るために
どのように兵営で訓練し、軍隊生活を送り、
そして防人として立ち向かっていったのか。

そんな立派な将兵たちに思いを馳せ
彼ら全ての将兵に心から感謝の誠を捧げたいものです。


防人を育てる


1 軍人勅諭

一、軍人は忠節を尽すを本分とすへし
一、軍人は礼儀を正しくすへし
一、軍人は武勇を尚(とうと)ふへし
一、軍人は信義を重んすへし
一、軍人は質素を旨とすへし

世界で最も礼儀正しく勇敢で規律正しい軍隊は軍人としての心得、
1882年(明治15) 明治天皇からの軍人勅諭をもって不動のものとなっていった。
全ての将兵たちは忠節・礼儀・武勇・信義・質素の五徳目を暗記していった。

文字も読めず教育もない、道徳教育もまともな訓練もない匪賊同然の支那兵士、
足りなくなれば地方で誘拐した百姓などに鉄砲をもたせて最前線に送り込んでくる
連中とは雲泥の差がでることになる。


2 教育・訓練の日々

将兵たちは国防、国内外の自国民を守るための存在、防人であり
そのために必要な訓練・教育を受けることが日常だった。

整列や行進といった基礎的な動作、駆け足、体操などによる体力、運動能力の養成、
銃の取扱や射撃、銃剣術などを学習した。

戦場で、あるいは演習時に兵士が身に付けた軍装の全重量は30キロを超えることがあった。
日露戦争以来長く使われた38式歩兵銃は 4キロ近い。
体力なくして兵士はつとまらなかった。


3 上等兵・下士官・将校への道

初年兵は入営から4か月が経ち第一期を終了すると二等兵から一等兵に上がった。
一等兵の上は上等兵であり、成績の善し悪しで昇級が決まった。
上等兵になれたのは同年兵の三割程度であり(1940年時点)、除隊後には誇りとなった。


兵営の生活

1 内務班

兵舎は中隊毎に建てられていた。
兵士が寝食をともにし、銃の手入れ、座学などを行う場所は
内務班と呼ばれる大部屋であった。
一つの内務班は20人前後で、戦時に分隊(小隊の下)を編成する単位となった。
兵士にとって中隊長(大尉・中尉)は父、班長(軍曹・伍長)ら下士官は母とされ、
中隊は一つの家族とみなされた。
寝台を隣り合わせにした先輩兵士(古年兵)は戦友と称した。


2 息抜きのひととき-食事・入浴・酒保-

食事は一人当たりの分量、金額は厳密に決められていた。
兵士にはわずかながら給料が出た。 営内には酒保と呼ばれる売店があり
汁粉・あんパン・煙草・ビールなどの嗜好品を買うことができた。
入浴は毎日できたが、多人数が短時間で済ませなければならなかった。


1936(昭和11)1月9日 成田町から佐倉連隊へ赴く入営者の歓送記念写真:
C1936(昭和11)1月9日 成田町から佐倉連隊へ赴く入営者の歓送記念写真.jpg

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国歌 君が代とは [近代史+ (日本)]

君が代は 今から 1000年以上も前に読まれ、
日本人にずっと読まれ続けてきた。

平安時代、延喜5年(905年)に完成した「古今和歌集」。
その巻7に「賀歌(がうた)」=「長寿を祈る歌」に紹介されたのが始まり。
誰が読んだのか(つくったのか)は知らず(不明)、題名もない歌:

「わが君は、
 千代にましませ
 さざれ石の
 いはほとなりて
 苔のむすまで」

この歌は 近しい人などへの想いの歌、神社の祭りでの歌、
お祝い事での歌などとして伝わり日本全土に普及していった。
『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』にも掲載され読み継がれてきた。

そして1000年の時を超え、明治維新を経て国歌、「君が代」が選ばれた。

君が代:

「君が代は
 千代に八千代に
 さざれ石の
 巌となりて
 苔のむすまで」

意味は、

「私の敬愛する人よ、
 千年も八千年も、
 小さな石が巨岩となって、
 さらにその表面を
 苔が覆うようになるまでの永い歳月を、
 どうか息災でいて下さい」

長い年月を言う「千代」に「八千代」が続き、果てしなく長い年月を表現している。
小さな石、さざれ石が、寄り添って大きな岩になるほどに長い年月を表現している。
その岩にきれいな苔が覆うようになるほどの長い年月を表現している。
絆と平和、自然、緑との調和、清らかさを願う祈りが伝わってくる。

さざれ石=細石=小石。
大きな岩石ひとつがバラバラになるのではない、真逆。
小さな石が寄り集まって、一つの大きな岩石、巌(いわお)になる、長い時間をかけて。
地中に埋まったさ さざれ石、そこに雨水で石灰岩から溶け出した粘着成分を含んだ水分が流れる。
やがて地殻変動で隆起し山になり雨が川になり流れる水でやがて現れるのが巌なのだろう。
長い時間を表現するのに「さざれ石の巌となりて」とした 1000年前の日本人。
それは いとおしい人に 子供や孫、多くの人が集い、強い絆を、和を願い祈った、
その思いが「さざれ石の巌となりて」 なのだと思う。
 参考:
 さざれ石
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3

日本の川は大陸の大河のように ゆっくりと流れ濁り淀んだ川ではない。
雨は山に降り、森林が豊富に水をたたえ水をろ過し
高低差の大きい山の川は透明で澄んでいる清流になる。
川岸から見てさえも透き通って川底まで見えるほどの清流に現れた巌。
緑豊かな神聖な気配に長い時間をかけ巌への美しい明るい緑の苔(こけ)が連想できる。
長い時間を表現するのに「苔のむすまで」としたのは
日本らしい気候、国土に神聖さ、森の緑の清らかさを表現したかったのだろう。

すばらしい日本の国歌。

君が代が国歌になっても それは近しい人への歌といえる。
しかし”大君 (天皇陛下)の代” でなく “君が代” だとしても、
その “君”とは 天皇陛下 がふさわしい。
世界一長い歴史を誇る日本が存続している要にある皇室。
天皇陛下の尊さを知るならば、真実の歴史を知るならば
それは天皇陛下がふさわしい。

天皇陛下に日本国民ひとりひとりが集まり
絆で和を、平和を維持し
清らかで緑豊かな日本を
果てなく大切にしていく歌。

君が代:
http://www.youtube.com/watch?v=GtDc8NGKYvs


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日本人の雄々しさ (天皇陛下のおことば) [近代史+ (日本)]

衆議院議員 安倍晋三氏のコメント、
天皇陛下の御製、”雄々しさ” について:


これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさ
深く感動していると陛下はおしゃった。

「雄々しさ」というのは
明治天皇陛下も、昭和天皇陛下も、今上天皇陛下も
ここぞというときにお使いになる。

明治天皇陛下は日露戦争開戦時に、
 敷島の 大和心の 雄々しさは
 事ある時ぞ 現れにけり

昭和天皇陛下は終戦翌年の歌会はじめで
 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ
 松ぞ雄々しき 人もかくあれ

今まさに雪が深々と降っている
この雪の冷たさと重さに耐えて
松は淡々しい美しさを失わない。
日本は占領下にあるけれども
日本のすばらしさ美しさは
失いたくないものだという思いを込められた。

そういう中で 今度はこの未曽有の大災害の中で
がんばらなければならない、という気持ちにおいて
ひとつになろう、という気持ちにおいて
天皇陛下は 「雄々しさ」 という言葉を発せられたのだと思います。

(関東地区では放送されてないTV番組「たかじんのそこまで言って委員会」
のゲスト出演された安倍晋三氏のコメント。今はYoutubeから削除され視聴不可。
 たかじんのそこまで言って委員会:
 http://www.takajin.tv/ )

---
天皇陛下から東北地方太平洋沖地震被災者へのビデオメッセージ:

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日の丸の 鎧 [近代史+ (日本)]

大神社展の際に立ち寄った上野国立博物館にて:
20130526_00大神社展時の国立博物館での鎧.jpg

平安時代末期の源平の争乱から明治維新までの約700年間は、
武士が政治の実権を握った時代です。
武士は公家の文化を模範としながら、仏教や庶民の文化を取り入れて、
独自の質実で力強い文化をかたちづくりました。

庶民の平服であった直垂(ひたたれ)は、武士の礼装としてしだいに整えられて
幕府の出仕服となり、江戸時代になると裃(かみしも)が登城服となりました。
日常には小袖や胴服が用いられ、甲冑の上にはおる陣羽織には
武士の好みがよくあらわれています。

刀剣は武士の道具のなかでもも最も大切にされ、
将軍や大名への贈答にも第一の品とされました。
通常、太刀と腰刀、刀と脇指(わきさし)というように長短2本を腰に帯び、
室内では腰刀や脇指だけを指していました。
検討の外装である拵(こしらえ)は、身分や服装、時代の流行とともに変化しています。

拵をはじめ甲冑や馬具は、漆工や金工、組紐など工芸
のさまざまな技術を駆使して制作されています。
甲冑の種類には、馬にまたがって矢を射るのに適した鎧のほか、
胴丸や腹巻、当世具足などがあり、世界の甲冑のなかでも彩りが豊かです。
これらの武器武具は、神社や寺院に奉納されたり、
大名の家の歴史や格式をあらわす道具として伝えられてきました。

日の丸 鎧:
20130526_02大神社展時の国立博物館での鎧_l.jpg
20130526_01大神社展時の国立博物館での鎧.jpg

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