So-net無料ブログ作成

中国建国の父、毛沢東 (「中国大虐殺史」 石平(著) ビジネス社) [近代史+ (中国)]

中国建国の父、毛沢東
首都北京の天安門広場には毛沢東のデカい写真が掲げられている。

中国国民は学校で、共産主義の素晴らしさと毛沢東の立派さ、恩情の深さを知り
学校や自宅にも毛沢東の写真を飾り、毛沢東語録を壁に貼り
すばらしい国、中国を誇りに思い毛沢東に深く感謝する。

だから毛沢東は中高額紙幣を飾り、中国国民はいつでも毛沢東のそばにいられる。

20100815_02毛沢東.jpg

真実を知らずに。
実際には毛沢東は同胞に対する大量殺戮者であることも知らずに。

---
毛沢東は同胞を騙し殺害、権力を握り、
社会の落伍者を使って地主から資産を略奪し虐殺、農民を利用。
嘘を重ねて無実の民を虐殺し続けて権力の頂点に達し、
工業化のための農業政策の失敗で1000万人単位で国民が餓死するのを無視。
文化大革命でも落伍者や学生(紅衛兵)を使って政敵を殺害し
大学教授や医師、技術者など知識人をもみな逮捕、殺害や強制労働に処す。
拷問やリンチ、冤罪で無実の民を殺し続け 反抗勢力になりえる分子を
ことごとく潰し続けた人類史上最大級の大量虐殺者、だ。
 :
共産主義化…赤化と言う。
赤化の邪悪さを知っていたのは日本。朝鮮・満州で赤化を防いでいた。
後に米国は日本が言う赤化の恐ろしさを知ることになる
…米国は日本の代わりに赤化対策、朝鮮戦争を経験することになる。


---
赤化:

1921年7月 上海で中国共産党が発足、極悪とされる資本主義社会と対峙する。

「一握りの資本者階級が暴力的な権力装置を使って労働者階級を搾取する。
 こうした理不尽な仕組みを打破し、労働者階級を開放するには、
 まず労働者階級自身が組織化する必要がある。
 そして、暴力を用いて資本主義の「暴力装置」を打ち砕くしかない。」

こうして共産党は暴力を思う存分行使する特権をもち、殺戮の大地に血が流れることになる。


---
毛沢東の私利強欲、陰謀と殺戮が始まる:

1921年 中国共産党(中共)が上海で発足。
1924年 中国共産党員が国民党(孫文)の組織に入ることになる(国民党と共産党の協力体制)。
1927年 国民党(孫文死後の蒋介石)は広東省(香港の北)から北へ進軍。

ところが江西省南昌で国民党軍内の共産党員が軍の一部を乗っ取り共産党軍として暴動、しかし失敗。
国民党内のAB団(Anti-Bolsheviki/反共産党)は共産党員を国民党から排除した(国民党と共産党の敵対)。

湖南省では毛沢東の農民軍も暴動、しかしこの暴動も失敗、
敗走する毛沢東は略奪と拉致(兵隊補充)を繰り返し江西省の南、井崗山まで逃げる。
そして毛沢東は世話になった井崗山の山賊のボス二人や山賊幹部を殺害、彼らの部下を吸収。

1928年 AB団に排除された南昌の共産党軍大部隊が南下し井崗山の毛沢東に合流。
やがて毛沢東は江西省、湖北省、湖南省、福建省一部にまたがる
広大な農村地域を占領し一大政治勢力をもった:

20100815_01毛沢東.jpg

この広大な農村地帯で毛沢東がやったことは大量殺戮と暴虐行為だった、曰く:
「反革命的軍人、反動的官吏、現地の豪族(地主や旧家を指す)を殺戮し尽くさなければならない。」

そして毛沢東は社会から唾棄された地元の落伍者(破落戸)を手先に使い
地元の秩序を維持し地域の安定と平和を守ってきた教養と良識ある地主などを皆殺しにしていった。

手口は「一村一焼一殺」。
地主を拷問し資産と現金を略奪し家財道具は地元の落伍者へ分配、
地主の家屋は焼き尽くし、土地は村人に分配…すると村人たちは大喜び(!)。
そして村人による茶番な裁判劇をさせて地主を殺害していった

…つまり予め仕込んだウソの地主の罪を涙で言わる、
 罪深い地主をどうするべきかを村人に問うと
 村人全員がいっせいに叫ぶ、「殺せ! 殺せ!」。

こうやって毛沢東は5年で 10万人もの地元有力者や地主を処刑し
彼らの資産や現金の略奪をし、没収した土地は一般農民へ分配、
見返りに食糧(年貢)を確保し兵力を維持していった。


---
味方をだまし殺害、嘘を本当の事にする毛沢東:

中国共産党の本部(本社)は上海。
その出先(支店)が毛沢東の紅軍などで大陸に散らばっている。
そこで毛沢東は付近の紅軍の根拠地を吸収し軍をまとめて頂点の座を狙い、
これにより上海の本部の権力をも狙った。

1930年 毛沢東は近くの赤軍を乗っ取る/攻め入るための口実として、
江西省西南方面の紅軍にはAB団(Anti-Bolsheviki/反共産党)が潜伏している、
と上海の中共本部に嘘を言い始めた、

AB団は 1927-8年に消滅しているにも関わらず。

上海 党本部に証拠を出せ、と言われた毛沢東は、自分の紅軍内にいるAB団摘発を始めた。
しかしAB団なんていない。
そこで部下をそそのかして気にいらない仲間の1人がAB団だと言わせる、
するとそのAB団1人を逮捕して過激な拷問、そしてまた別のAB団の名前を言わせる、
つまり苦しさに耐えられない拷問を与え 適当な名前を自供させる。
これを繰り返し 毛沢東に敵意ある連中を含めて400名以上の AB団を摘発、
30名以上を即座に処刑、ありもしない「AB団浸透の実態報告書」一式を上海へ提出。

まさか毛沢東が己の紅軍幹部仲間を殺害し嘘をつくとは思わなかった上海の中共本部は
江西省西南方面の紅軍内のAB団粛清(殺害)の全権を毛沢東に与えた。

そして毛沢東にとって「赤の他人」である江西省西南方面の紅軍への「AB団」摘発は
同じ手口でも容赦ない残忍非道なものになった。
鞭打ち、指を釘で打込む、火で顔をあぶる、逮捕者の妻の乳房を少しずつ削ぐ、などで自供させた。
8名から始まり、翌日には200名以上が逮捕、5日後 1200名以上の逮捕者。
毛沢東「AB団」幹部は即座に処刑だ、として400名余りの頭を銃弾で吹っ飛ばした。
そして引き続き毛沢東は殺したい奴を全て洗い出し虐殺を繰り返し
江西地方紅軍軍人 6000人以上を殺害、引き続き江西根拠地の 4000人以上を殺害していった。

これに対して「AB団」は嘘だ、無実だ、と上海へ訴えた連中もいた。
しかし粛清指示を毛沢東へ与えたのは上海の党本部だ、
今さらそれが間違いだったと認めるのは党本部にはできない、本部が危機に陥る。
そこで党本部は立場上、無実を訴えるという行為は、クーデター行為と見なした(!!!)。
そして上海 共産党本部は 訴えた連中を騙して全員を逮捕、弁解の余地なく銃殺してしまった。
さらに上海 共産党本部は 毛沢東の正当性を世間に強調する必要に迫られ
全軍に対して「AB団粛清」キャンペーンを展開させ共産党と紅軍全軍で
総計7万人以上が処刑(殺害)されていった。

存在しない 「AB団」を捕まえるとして同胞を殺害していった。
毛沢東だけでなく、中国共産党本部も邪悪だ、ってことだ。
大茶番虐殺劇だ。

1931年 毛沢東は紅軍全拠点を統合し「中華ソウ゛ィエト共和国臨時政府」を樹立、
同志7万人の殺害で得た権力をもつ主席の座についた。


---
共産党軍(毛沢東) vs 国民党軍(蒋介石):

日中戦争(日本軍 vs 国民党軍) の間に力を蓄えた毛沢東 共産党軍は
1946年 から3年に及ぶ国民党軍と内戦で 凄まじい大量殺戮を繰り返した。

例えば…長春では籠城した国民党軍と住民 50万人に対して飢餓作戦を実施。
籠城した連中は娘を5キロの米で売り、全財産を使い果たし、
やがて子供を交換し殺して喰っていった。
彼らが投降した際は33万人が餓死。

1949年 激しい内戦で勝利したのは毛沢東率いる共産党軍、
この内戦で国民党蒋介石軍 800万人が死亡、双方で 1000万人以上が死亡と推定。


---
毛沢東と中国(中華人民共和国) 誕生と大虐殺:

1949年10月 天下をとった殺戮者、毛沢東は 中華人民共和国(中国)を樹立、
(これが今で言う「中国」、2010年現在のこの国の年齢は60歳。)
ところが毛沢東は殺戮を止めない。
己が支配者として君臨しても自国民に対する殺戮を止めない。

●1950年 中国の独裁者、毛沢東による最初の自国民への殺戮は 200万人。
「土地改革運動」とか言って これまでやってきた「一村一焼一殺」を
全国規模で実施、農民を利用し 各地域の地主や有力者を逮捕し拷問、
毛沢東は彼らの全財産を奪い、土地は農民に分配し見返りに年貢を要求した。
逮捕した地主は600万人超、その内 200万人を処刑した。


●1951年 今度は「反革命分子鎮圧運動」での殺害が 71万人。
「堂々と反革命分子を殺せ」と殺戮命令を出し、
「反革命分子は人口の 1000分の1、都会ではそれを超えろ」とノルマを与えた。
ノルマ未達成を怖れた部下はとにかく反革命分子を創りあげることになる。
反革命分子とは「匪賊、悪党、スパイ、反動的組織など」だが
群衆から告発された者にはそんな反革命分子などいない。
告発され大人しく出頭した連中は無実であり、冤罪でありながら虐殺されてしまった。

次に毛沢東は「準反革命分子」として129万人を逮捕し終身監禁し、
準々革命分子として更に 123万人を監視統制し惨めな人生を与えた。

(日本民主党では人権擁護法をつくり、同じような手法で国民を支配しようとしている、
小沢や菅、輿石や仙石、千葉景子などを糾弾するような男は容易に逮捕されるかもしれない。)

●1955年 には更に「粛清反革命分子運動」を開始。
人民のなかに隠れいている反革命分子を再度、徹底的にあぶり出し、粛清せよと大号令をかけた。
結果、130万人が告発され逮捕、その内8万人が処刑された。

●1956年には全国の知識人に対して「言う者に罪なし」と保証し、
共産党政権(中共)に対する積極的な提言や批判を行うように呼びかけ、
中共主催の座談会や公聴会で多くの知識人から中共の誤りや姿勢の苦言を受けた後に
「言う者に罪なし」を無視し「反右派闘争」とか言って
1957年 毛沢東は知識人を公職から追放し市民権を奪い遠い農村僻地の強制労働場へ、
55万人を生き地獄へと追いやった。

(己の嘘と邪悪さがいかに卑劣かを最もよく知る毛沢東自身は反毛沢東の出現に恐怖し、
だから恐怖政治を維持拡大し、いかなる反抗の根をも潰そうとしたのだろう。)


毛沢東の大躍進政策:

1958年には「大躍進政策」を始め 2000~4000万人の餓死者を出している。
「大躍進政策」の表向きの主旨は資本主義社会を工業力で追い越すこと、
しかし実際にはソ連に対抗して共産主義運動の主導権を握ることを目的としていた。

目標は1年で鉄鋼生産量 1000万トンを 2億7000万トンの27倍にすること。
そのためには労働者(農民)が必要で 農民が1年間農業をせずとも食えるように
食糧生産高を 2.5億トンから 5億トンの 2倍にしようとした。

絶対的な権力をもつ独裁者、毛沢東は地方の幹部に檄を飛ばした。
結果、地方の幹部は 嘘の報告、食糧生産高を大きく水増しして報告した。
すると毛沢東はこれまでの税/年貢としての穀物無償供出2倍を命じた。
しかし実際にはそんな穀物は無い。

1959年 毛沢東は「鉄鋼大生産運動」を命令、農作業はできず穀物の収穫は激減、
すると夏には危機的な食料不足に陥り餓死者が続出。
餓死者は喰われ、子供たちが交換され喰われ餓鬼地獄が 1961年まで続いた。

毛沢東は 餓死者情報を知りながら自らの立場を守るためにこれを無視。
しかも 1959年~1961年まで大量の穀物を海外へ輸出、
266万トン(1958年)、419万トン(1959年)、265万トン(1960年)。
大量の餓死者が発生している 1960年にも 265万トンを輸出!
…これは 2600万人の国民を餓死から救う量に匹敵する。


毛沢東の文化大革命と紅衛兵:

「大躍進政策」の失敗で共産党内での立場が危うくなった毛沢東
党全体から遠ざけられ、実務から外され実務波の幹部にとって代わられた。

権力回復を狙う毛沢東は軍人を手先に使って軍隊を掌握、
党の中枢に抜擢した連中を据え環境を整え、
学生たちで組織された「紅衛兵」を使い造反運動を展開、
党組織実務波幹部を狙わせた。

しかし狙われたのは彼らだけじゃなかった。
小学校先生、大学教授、作家、芸術家、芸能人、旧家、地主、職人、医師、技術者など
多少の権威、財産、名声、知識、技能をもつほとんど全員が巻き込まれた。

1966年10月までに 勝手な逮捕、違法拘禁、拷問、リンチ、私設裁判がされ
数万-数十万人が殺害され 48万人が公職追放、市民権剥奪され農村へ送られた。
続く文化大革命の嵐での冤罪は 900万件、その内死亡は数百万人、被害者は全国で 1億人規模。

この 文化大革命は10年続き虐殺、拷問リンチでの自殺者などで1000万人単位が死んだ。
騙しと殺しで出世し大量虐殺で政権を維持し中国人民の命の上に君臨したのが毛沢東



中国と日本軍:

今の米軍が沖縄に駐留していると同じような条件で中国に駐留していた日本軍は銃弾で挑発された。
日本人を残忍な手口で虐殺し続けることで挑発に追い打ちをかけ戦争を仕掛けられた日本軍。
しかし日本軍が戦ったのは国民党であって共産党じゃない。

後に毛沢東は言っている、これは思わず出た本音だ、嘘じゃない:
「日本軍国主義は中国<共産党>に大きな利益をもたらしてくれた。
 これのおかげで中国人民は権力を奪取できた。
 日本軍なしでは不可能だった」

日本軍に弱体化され、共産党軍(内戦)に敗れ、米英に見捨てられた国民党は台湾へ逃げた。
そしていま、台湾で政権を握るのは国民党。


今も続く独裁政治:

北京や上海にいくと、真新しい超高層ビル群や大量の高級車などに圧倒される。
中国の経済成長は今も右肩上がり。
仕事は中国にあり…!?

一方では やはり一党独裁政権国家であることには変わりない。
満州族を民族浄化、ウイグルやチベットを植民地支配、核実験での数十万人規模の殺害、
天安門事件でも数千人を銃撃し戦車の下敷き、毒餃子に毒粉ミルク、
世界最大の軍拡、GDPなどの経済統計には嘘と歪曲。
インターネットは検閲され、FACE BOOKも Twitterも禁止、情報統制されている。
毛沢東のDNAを引き継いでいる。

こんな中国に媚びへつらって訪中するのが小沢など民主党議員を主にする下種たちだ。

朝日新聞を読む社会人にも下種がいる、曰く:
「首相が靖国神社参拝なんて勘弁してくれ、中国が反発する
 …仕事がやりづらくなる。」

まったく たまげる。
冗談じゃないぜ。

日本人なら首相や閣僚は全員、靖国神社に参拝しろ。
堂々としていればいい。

---
参考:
「中国大虐殺史」石平(著) ビジネス社
「私はなぜ「中国」を捨てたのか」石平(著) WAC

---
BLOG RANKING:人気ブログランキングへ

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。